第1回 静かに迫る焦燥

── 50代、社会の片隅で生きる現実 ──

本日から
連載ファイナンシャル小説「静かに迫る焦燥」の連載を開始します。
全5回の予定です。

幼いころから、少しだけ生きづらかった

「なんでそんなことで怒るんだよ」

小学生の頃、友達に言われた言葉が、妙に胸に刺さったのを今でも覚えている。
桐谷誠司は、感情の機微に敏感すぎる子どもだった。
先生の機嫌、親のため息、友達の顔色。
すべてを敏感に感じ取り、余計なことばかり考えてしまう。

だが、それは生きやすさとは裏腹だった。
人に合わせることに必死で、本音を押し殺して過ごす日々。

そしていつしか、桐谷の中に「自分を表に出すこと」への恐れが根付いていった。

歯車に乗り損ねたまま、大人になった

大学は滑り止めに受かった地方私立。
周囲は就職活動に沸き立ったが、桐谷は気後れしていた。

「何をしたいのか分からない」
「自分にできることなんて、あるのか」

結局、卒業後は正社員にならず、契約社員として都内の倉庫会社に勤め始めた。
生活は苦しくなかったが、将来が見えなかった。

20代後半で体を壊し、退職。
30代は転職を繰り返した。営業、警備、飲食、倉庫作業……
どの仕事も長続きしなかった。

気がつけば、孤独と背中合わせだった

40代に入ると、雇用形態は短期契約かアルバイトばかりになった。
年齢を理由に面接で落とされることも増えた。

一度だけ結婚を考えた相手もいたが、桐谷の不安定な仕事ぶりに、
結局は離れていった。

親も高齢化し、少しずつ援助も必要になり始めた。
家族に迷惑をかけたくないという思いは強かったが、
自分自身も生活するのに精一杯だった。

孤独は、最初は静かに、そしてじわじわと確実に桐谷を蝕んでいった。

そして、50代を迎えた

「今年で、何歳になったんだっけ……」

古びた電気ストーブの前で、桐谷はぼんやりとつぶやいた。
年末に近い冷たい夜。心まで冷え込むような静けさが、狭いワンルームに漂っていた。

月に数回の派遣バイト、あとは単発の配送業務。
稼ぎは月10万円台。家賃と食費を差し引けば、手元にほとんど何も残らない。

焦りはある。だが、何をどうしたらいいのか分からない。
過ぎ去った年月は、取り返せない。

ある日、郵便受けに届いた一通のはがきが目に留まった。
「年金定期便」──見覚えはあったが、普段なら手に取ることすらしなかっただろう。

だが、この日ばかりは違った。
なぜか胸の奥で、微かなざわめきが起きた。
嫌な予感とも、諦めとも違う。
ただ、「何かを確かめなければならない」というような、
漠然とした衝動だった。

桐谷はためらいながらも、そっと封を開けた。

そこには、乾いた数字が並んでいた。

「将来の年金見込額:月額 52,000円」

……これだけ?

タイトル 年金定期便とは

「年金定期便」は、すべての加入者に対して毎年1回、誕生月を基準に郵送される通知書です。
これまでの納付記録、将来の受取見込額、直近1年間の保険料納付状況などが記載されています。
自分の年金受取額の目安を知る、重要な資料です。

読み間違いかと思った。
目をこすり、何度も何度も見返してみたが、額面は変わらなかった。

52,000円。
これで生きていけるわけがない。
老後という言葉が、急に現実味を帯びた瞬間だった。

50代からの年金現実

厚生労働省発表(2025年)では、国民年金の満額支給でも月額約6.5万円程度。
若い頃から満額支払っていた場合の話であり、途中で未納期間があると、大幅に減額される。桐谷のようなケースは決して珍しくない。

まだ、終わらせたくない

どうする?
どこから立て直す?

考えれば考えるほど、頭が真っ白になった。
だが、逃げても始まらない。

静かに、桐谷は立ち上った。

「まだ……終わってない。」

かすかに自分に言い聞かせるように、そうつぶやいた。

未来は、誰かが運んできてくれるものではない。
選び取りにいかなければ、ただ流されていくしかない。

そうして桐谷は、人生をもう一度組み立て直すために、
小さな一歩を踏み出す覚悟を決めたのだった。

次回、桐谷は偶然のきっかけから、"自分で稼ぐ"世界へと踏み出すことになる──。